扶余街で迷子になる

 こうなったら自力でなんとかしなければ、路地を奥に進むと確かにバスターミナルがある。
『だったら何故、最初からここで降ろさねぇーんだ?』
 既にYajioは少しイライラしていた。とりあえず辺りを偵察するが、Yajioに理解できる物は通りの向こうのロッテリアだけだ。後はハングルオンリーでお手上げ状態。
 
 しかし、通りに面したバスターミナルの塀に少し古ぼけてはいるが、大きな観光案内図らしき物を発見。確かにここは扶余だ。よし、こうなったらあの看板をデジカメで取って地図の変わりにしよう。大体の観光スポットの位置が分かれば何とかなるだろう。
 
 通りの向こうに行ってデジカメに写そうとしたら、なんと歩道に扶余の街の案内図があった。そこにはチャンとインホメーションの場所も出ている。
 
 やっと手掛りを見つけたぞ。しかしこの地図がまた、ややこしくて目的のインフォメーションが分かりずらい。
 扶余の街には大きい建物が無く、空が大きく開いているので直射日光がきつ過ぎる。この日は特にクソ暑い日でYajioの不快指数もメーターを振り切っている。(表現が古すぎる)
 
 消防署のロータリー辺りで何人かの地元の民族に道を聞いたがラチがあかん。ロータリーにある大きな街の案内図を見ながら思案していると、Yajioの連れが珍しくYajioに道を説明しようとしている。しかし何時もの通りで彼女はまるで違う道を指差している。

『だまっとれ!このボケがー!』
 
 Yajioは彼女にではなく自分自身に腹が立っていた。とにかく先ずはインフォメーションを探さなければ。そして遂になんとかインフォメーションにたどり着く事が出来た。なんとンフォメーション扶蘇山の入口にあった。
 扶蘇山はかつて百済の王宮があった所で扶余観光の基点と言ってもいいところだ。そんな肝心な所も分からなかったなんて、やっぱり事前のリサーチは大事だ。今更ながら悔やむYajioだった

扶余観光マップをゲット

 扶蘇山の観光案内所で日本語の観光地図を仕入れたら気を取り直して、扶余観光に出かけるぞ。地図を見ると確かに扶余街狭い。
 
 そしてバスターミナルは南北に延びる街のメインストリート(中央路)の真ん中にある。中央路は南北がそれぞれロータリーになっていて南側には郡庁、警察署がありロータリーには階伯将軍像が建っている。
 北側は消防署と保健所があり、ソウルからのバスはこのロータリーから入ってくる。市場や食堂街は北側に固まっているようだ。

 実に分かりやすい!!やっぱり扶余は歩いて周れるのだ。
 ようし!最初は白馬江(ペンマガン)下りだ。白馬江は正式には錦江という河で、河口が白村江だ。
 
 白村江とは日本書紀に出てくる地名だ。古代日本が百済の救援の為に唐・新羅連合軍と激突した『白村江の戦い』はYajioも学校で習った。
  この戦争は古代日本史上最大の戦争でこの戦争に負けた百済は完全に滅亡した。倭国も大打撃を受けて半島への足場を完全に失った。

 この時から日本は独自の国家として新しい日本と成っていくのだ。そんな歴史的背景を思いながらこの扶余に訪れた。しかし百済の文化や遺産は全て破壊されて当時の華やかだった頃を思い出させる物は何も無い。むしろ百済の文化は奈良の飛鳥文化に多く残されている。

白馬江下りと扶蘇山観光

 白馬江下りは幾つかのコースがあるようだが、Yajio達はクドゥレの船着場から百済大橋の先の水北亭まで行って皐蘭寺の船着場に行くコースに乗った。時間にして30分ぐらいか。途中、韓国語で周辺のガイドが流れるがYajioにはわからない。
 
 皐蘭寺は扶蘇山にあり入山料が2000ウォンだ。ここの見所は何と言っても『落花岩』だ。落花岩は百済が滅亡した時、3千人の官女達が断崖の上から白馬江へ次々と身を投げたという伝説がある。そして落花岩には百花亭が建っている。
 
 Yajio達はここから、扶蘇山で1番高いところにある泗泚楼から半月亭、、軍倉址、迎日楼、三忠祠、泗泚門を潜ってスタートの扶蘇山の観光案内所に戻って来た。時間にして2時間チョットだ。その後、定林寺址に行って昼食を摂った。
 
 しかしこのコースは絶対マネするな!!確かに扶余の街は小さくて歩いて周れるが夏場はチョット、きついぞ。
 
 これから扶余に行く人の為にYajioが扶余の歩き方を教えてやる
 
バスターミナルをスタート地点にするなら、まず最初に定林寺址に行く、そして扶蘇山、白馬江下りだ。そうYajioのとったルートとまるっきり逆のコースだ。Yajioのとったコースだとえらい目に会うぞ。
 
 何故かと言うと皐蘭寺から扶蘇山に入るルートは上り坂が急なのだ。Yajioは白馬江下りで余裕かましてビールを飲んで、良い気分で入場してしまったので取り返しの付かない状態になってしまった。これから行く人はお願いだからYajioの言う事を聞いてくれ。
 
 Yajioの紹介したルートだと百済の遺跡を徐々に見て周って、扶蘇山の最大の見せ場『落花岩』を最後に見てゆっくりビールでも飲みながら白馬江下りをして帰る。完璧だ!!
 
 しかしこれだけじゃ物足りない人にYajioからもう1つアドバイスだ。
 白馬江下りは皐蘭寺から水北亭がある百済大橋の船着場まで行く。そこから宮南池行きそして国立扶余博物館、百済王陵苑そこから論山駅まで行ってKTXでソウルに帰る。

 実際にYajioはこのルートは行かなかったがこのルートはタクシーを上手く使った方が良いぞ。
 しかしそんなかったるい事しなくてもここで済むかもしれない。 サイバー扶余博物館 扶余観光
 Yajioは実際KTXは使わなかった。KTXは論山からの帰りの時間が中途半端なのだ。ソウル着が6時ぐらいのがあれば良いのだけれど。

これがYajioが紹介する扶蘇山観光ルートだ
(所要時間約3時間たぶん?)


①扶余バスターミナル

②定林寺址

バスターミナルの前の
ロッテリア側の郵便局と
病院の横丁を右に入る。
ロッテリア前には扶余の
観光マップのスタンドあるので、
定林寺址の場所を確認する。

 バス通りと平行した通り(百済路)の右側に定林寺址の塀が見える。
塀伝いに右(南)に行くと入口がある。入場料は1000ウォンだ。
定林寺址は百済後期の寺院址。
広い敷地内に国宝の五重石塔と高麗時代の
石仏残っているだけ。番下の層には唐が百済の都、
扶余を攻め落としたことを
記念して文字が刻まれる。

③扶蘇山の観光案内所

④泗泚門(サビ門)

定林寺址の塀づたいに今度は逆に北に進むとT字の交差点に突き当る。
通りを渡って右に進むと直ぐ左側に駐車場がありその
奥に観光案内所がある。
ここで観光マップを手に入れる。

ここから扶蘇山に入る。
入場料は2000ウォン
必ず水を持っていく事。
覚悟しろよ!!

⑤三忠祠

三忠祠は階伯(ケベク)将軍、成忠(ソンチュン)、興首(フンス)という3人の忠臣が祭られている。
しかし一番奥まで行くのに義烈門、忠義門、門を二つ潜るとやっと三人に会える。しかし誰が誰だかわからん。

⑥迎日楼

⑦軍倉址

⑧半月亭

⑨泗泚門(サビ門)

⑩落花岩

⑪百花亭 

⑫皐蘭寺

⑬落花岩投身の絵

⑭皐蘭薬水 

⑮皐蘭寺の船着場から船に乗りクドゥレの船着場まで白馬江下り。

⑯クドゥレの船着場から歩いて買える。途中食堂があるので昼飯を食う。

扶蘇山の全景と観光ルート

BACK